2008-11-01から1ヶ月間の記事一覧

玉野市営電気鉄道(備南電気鉄道)

鉄道考古学研究所にようこそ1972年(昭和47年)に廃止になった鉄道です。元々は電気鉄道の名前の通り、電車が走っていましたが、経営難のため、途中から気動車をつかって営業していたという変り種です。(くりはら田園鉄道もこのパターンで、気動車化してい…

土佐電気鉄道安芸線

鉄道考古学研究所にようこそ 今は、土佐くろしお鉄道が、「後免-奈半利」を走っていますが、その一部である「後免-安芸」を1974年(昭和49年)まで、土佐電気鉄道安芸線が、走っていました。 トラックやバスの普及で経営が厳しくなったよくある地方鉄道のパ…

西銀座駅

鉄道考古学研究所にようこそ 西銀座駅とはなんでしょう? これは今の丸ノ内線の銀座駅のことです。今から50年前は、東京の地下鉄は、銀座線と、途中まで出来た丸ノ内線だけでした。 丸ノ内線は当時、池袋から西銀座(今の銀座)までしか開業していませんでし…

内子線 旧内子駅

鉄道考古学研究所にようこそ 内子線が、予讃線のバイパスとなる際に、かなりルートが変更になり、内子駅も別な場所に移動しました。地図のこのあたりが、元の内子駅があった場所です。現在は、「内子自治センター」となっています。 ランキング参加中鉄道

内子線(五郎-新谷)

鉄道考古学研究所にようこそ 今回は、一部廃止とルート変更のケースです。 内子線は、元は五郎駅から分岐し、内子に至る盲腸線でした。現在は、予讃線の短絡ルート「向井原-伊予大洲」に組み込まれています。 線路のルート変更に伴い廃止となった「五郎-新…

富士山麓電鉄

鉄道考古学研究所にようこそ 富士山麓電鉄ってなあに? これは、廃止されてしまったわけではなく、名前が変わったのです。そうです、「富士急行」は1960年までは、「富士山麓電気鉄道」と言う名前だったのです。 昭和33年(1958)当時は、以下の通り。大月-…

一畑電鉄出雲広瀬駅

鉄道考古学研究所にようこそ 地図のこのあたりが、一畑電鉄出雲広瀬駅があった場所です。正確な場所はよく判りませんでした。昭和33年(1958)10月の時刻表では荒島-出雲広瀬 8.3km 40円 所要約25分 運転間隔1~2時間に1本でした。廃止は昭和35年(1960)…

一畑電鉄一畑駅

鉄道考古学研究所にようこそ 今日は、一畑電鉄一畑駅を調べてみました。一畑口駅からこのあたりまで線路があったはずです。ネットで調べても正確な位置がわかりませんでした。本も幾つか見ましたが、位置までは出ていませんでした。 ところが、住所は残って…

淡路交通洲本駅

鉄道考古学研究所にようこそ 淡路島にも昔は鉄道が走っていました。 地図のこのあたりが洲本駅の場所です。昭和41年(1966)に廃止となりました。原因は、バス・自動車の普及のようです。 今から50年前、昭和33年(1958)、すなわち、廃止の8年前の様子を時…

倉敷市交通局 鉄道線

鉄道考古学研究所にようこそ 今日は、経営主体が変わってしかも旅客営業区間が延びた珍しいケース。 昭和45年(1970)までは、倉敷市交通局が倉敷市-水島を運営していました。50年前の昭和33年(1958)の様子は、倉敷市-水島 9.2km 30円 所要時間約20分 運…

下津井電鉄下津井駅

鉄道考古学研究所にようこそ。 このあたりが、下津井電鉄下津井駅のあった場所です。ここは、軌間762mmで、先日調査した西大寺鉄道の914mmよりもさらにレールとレールの間が狭い鉄道です。最初は宇野線の茶屋町駅から下津井まで走っていましたが、1972年に茶…

橋場線&生保内線

鉄道考古学研究所にようこそ。橋場線とか生保内線と聞いてピント来る方はどれくらいいらっしゃるでしょう?これは、田沢湖線の前身です。盛岡-雫石 16.6km が、橋場線大曲-生保内 35.5km が、生保内線です。生保内駅なんてないよと思われるかもしれません…