五日市線に支線があった 武蔵岩井駅



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 このあたりに五日市線の支線の終点、武蔵岩井駅がありました。

 この支線の分岐方法は、ちょっと変わっています。時刻表上は、武蔵五日市から出て支線に分岐するような表記になっていますが。素直に分岐できません。武蔵五日市から東京方面に出発し、いったん停止して、バックして支線に入る、いわゆるスイッチバックになります。

 例によって約50年前の昭和33年(1958)10月の時刻表で当時の様子を見て見ましょう。五日市線は電化されておらず、時刻表には「気動車」のマークが付いていて、列車番号300番代は「汽車」となっています。これは、立川-武蔵五日市の列車で1日4往復ありました。

 問題の武蔵五日市-武蔵岩井ですが、1日6往復で、この区間のみの運転は下りが5本、上りが4本、拝島からの直通が下り1本、上りが2本でした。上りも下りも6時代の列車の次は17時代なので、日中は走っていないという事になります。通常の通勤通学には使えない時間帯ですので、どのような人々が乗っていたのか疑問です。

 武蔵五日市-(2.1km)-大久野-(0.6km)-武蔵岩井 所要約10分でした。